明治41年(1908年)3月23日 平塚らいてう(らいちょう)が森田草平と、栃木県塩原の尾花峠で心中未遂。
らいちょうは裕福な家で育ち、日本女子大学校を卒業したあとに、文芸サークルで作家の森田と知り合った。心中未遂は大きなニュースとなり、らいちょうには批判が殺到したが、それにめげず、逆に若い女性たちを糾合して、明治44年9月に、「元始、女性は太陽であった」のマニフェストで知られる婦人文芸誌『青鞜』を発刊した。1971年に死去。
森田草平は、夏目漱石の弟子となり、文筆活動を続けた。
明治41年(1908年)3月23日 平塚らいちょうが森田草平と栃木県塩原の尾花峠で心中未遂。
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